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いろいろ [お勉強]

東京の地名の由来   台東区  雷門(浅草寺の正門である風雷神の通称「雷門」を中心とするエリアで、町の由来ももちろんこの門である。しかし、度重なる区画整理ののち町の規模は縮小され、門自体の住所は、現在、浅草1丁目となっている。雷門は寛永12年に建立されて以来、火事により3回の焼失、再建を経験した。現在の門は、昭和35年に建てられたもの。

中央線街と駅の120年  武蔵小金井「お花見のために生まれた駅」江戸時代から親しまれてきた小金井桜の花見客のために設けられた仮設ホームが起源で、大正15年1月16日に正式な駅が開通された。昭和11年9月に北口が開設された。

駅の東側を南北に通る小金井街道沿いには商店も並んでいたが、駅の近くから畑が広がる農村風景が昭和20年代まで続いた。昭和30年代に入ると徐々に宅地化が進み、緑豊かな住宅地として人気が出てきた。

駅の北約1・3キロの地点には玉川上水が流れており、山桜の並木も健在だが、平行する五日市街道の排気ガスと樹木の老化で元気はない。それに代わって戦後はその近くにある都立小金井公園の桜が有名になっている。

東京の川と水路を歩く

玉川上水は、玉川上流域の羽村から取水し、武蔵野台地を貫くようにして四谷大木戸(いまの新宿区四谷)までが堀を開き、江戸城下に水を導く水路として、承応2年(1653)につくられた。以来、昭和40年(1965)に利根川水系から取水する「武蔵水路」が開かれるまで、なんと312年間も、現役の上水道として活躍してきた。(一部区間はいまなお現役。)

カレーパンの誕生~   昭和に入り、菓子パンとはまた違うカテゴリーに入れられるパンが生まれる。東京の森下にある名花堂(現在のカトレア)のメニューに登場した。「洋食パン」という商品がそれ。パンの中に硬めに作ったカレーが入れられ、パン粉をつけて揚げたもので、昭和2年に実用新案を取得した。

小判型に成形してパン粉をつけたのは、トンカツから発想を得たものだったという。ごはんのおかずになるものを手軽に食べられるようにと考案された。大正12年に店舗が全焼してしまい、起死回生のメニューを生み出そう模索した結果のヒット商品だった。現在では揚げずに焼いたカレーパンやキーマンカレーパンなど、種類が豊富である。元祖はカトレア~^^

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        なるほど~~~~~~~~~^^


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