SSブログ

正解は [日記]

 7/3(土) 期日前投票に行ってきました[わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)]

50人は並んでいました。苦悶の表情で杖を使っているおじいちゃん。自宅で投票できればいいのに~!

車椅子のおじいちゃんが、「高齢者や障がい者に並ばせるなんて・・・。おかしいだろ!」と絶叫していた。

苦悶の表情のおじいちゃんウンウンと言っていた。ニコもそう思う。福祉だ!福祉だ!と言う前に、選挙に車椅子行くおじいちゃんや歯を食いしばって投票する姿を実際に見てほしい。

投票はあっさり終了[わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)]ニコ惚けて、ニコニコファイトて書いたなあ。さすがに書きません。一瞬書こうと思いましたが、どうせ無効になるので、小池さんの党の議員に入れました。実はその人は嫌いです。

小池さん頑張ってるのでそれで入れました。今回は厳しいと思います。

そうそう駅のロータリーで「何かありますか?」と言った人も立候補してました。

ニコ市役所で何か撮った???

撮りましたよ。


IMG_0001.JPGIMG_0002.JPGIMG_0003.JPGIMG_0004.JPG


     千羽鶴撮影していいのか?OKですよ。


     コロナ?いや戦争です。広島に原爆が落ちて数年後に亡くなった少女


     ニコちゃんと調べて~。


     平和記念公園内ではいたる所で、色鮮やかな折り鶴が見受けられます。折り鶴は日本の伝統的な文化である折り紙の一つですが、今日では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られています。このように折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっています。

 佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。


そうそうこれです。


白血病で数年後に亡くなったと言うのを覚えています。


https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/9204.html参照


nice!(33)  コメント(4) 
共通テーマ:スポーツ